193の腹の中

雑記ブログ。テーマの統一性はない。

三浦大輔と松坂大輔

ハマの番長”こと三浦大輔選手が引退した。
三浦選手は、私にとって特別な選手だった。
デビューからずっと変わらず応援してきた選手だった。

 

三浦大輔

 

奈良県出身の野球ファンなら誰しもが知っている名である。

しかも阪神にめっぽう強く、悔しいけど地元民のエースなので憎めない存在である。

 

私が初めて三浦選手を目にしたのは、小学校高学年の時だった。
その時は、当時の「大洋ホエールズ」に6位で指名されて挨拶回りをしているところだった。

 

初めて会う野球選手に、私は大興奮して、学校の帽子のツバにサインをしてもらった。友達たちも色んなところにサインをしてもらっていた。当時の顔は覚えていないが、背の高いでかい兄ちゃんという印象だった。

 

サインをもらった友達同士で、「これで、すごい選手になったら、このサインも価値が出るな」と言っていたのを思い出す。途中まですごい大事にしていたあの帽子…どこいったんやろ…

 

当時は、「なんで大洋やねん!6位って、ギリギリやんけ!」とか好き放題言っていた。田舎なので、「誰々兄ちゃんと三浦大輔は親友やで」とかそんな話はいっぱい聞こえたが、年が離れすぎていたので実感はなかった。ただ、当時からちょいワル系であったとは思う。詳しくは言えない。

 

奈良での甲子園校といえば、天理か智弁学園である。
彼の出身校は、「高田商業」という微妙な高校である。
そんな高校を率いて、なんとか決勝まで進むも天理高校に敗れ、甲子園には進んでいない。それでもプロ野球に指名されるんだから、光るものを持っていたのだろう。

 

プロに入ってからは、長く二軍暮らしをする選手もいる中、すんなり一軍デビューも果たし、2年目からそれなりの戦力になっていた。すごい速球や変化球があるわけでもなかったが、コントロールが良かったので、ある程度、試合を作ることが出来ていたのだろう。

 

はっきり言って、本来、「エース」と呼べる実力者ではなかった。二番手・三番手をウロウロする感じだろうか。エース級の選手が続かず、知らぬ間に周りがヘボばかりで自分が一番手になっていたという恐ろしい暗黒時代を象徴している。自分でも、俺がエースと呼ばれているうちは、チームはまだまだだと言っていた。

 

よく、他のチームで投げていたら、もっと勝てていたのにと言われるが、他のチームならこんなに投げれていない。ここまで続けられていない。だから三浦選手は、横浜に愛着を持ち、感謝しているのだと思う。

 

FA権行使の時、阪神に来そうな雰囲気をマスコミによって作られていたけど、私も期待しちゃったけど、横浜に残って本当に良かったと思う。1つのチームに野球人生すべてを捧げるってファンにとって最高のプレゼントだから。横浜ファンが素直に羨ましい。

 

そして、もう一人の大輔。

 

松坂大輔

 

私と同い年である。「松坂世代」という言葉が生まれるほど、大人気でズバ抜けた実力者だった。彼の名前は、「荒木大輔」から取って付けられたのは有名である。同じ世代として、誇らしげであり、眩しかった。関係ないけど「広末涼子」も松坂世代なんだぜ。

 

プロ野球だけでいえば、まさに「黄金世代」で、松坂を筆頭に、藤川球児和田毅杉内俊哉村田修一新垣渚久保裕也館山昌平木佐貫洋と書きながら、投手ばかりに改めて気づく。いずれの選手もチームの主力として活躍した方達だ。

 

でも、寄る年波には勝てぬとは言ったもので、少しずつ脱落する選手が出てきて、もはや現時点で、活躍しているといえるのは、数人だけで、なんとも悲しくなってくる。普通の社会人ならまだまだ若造なのに。

 

野球選手にケガは付き物で、マー君ダルビッシュすらすでに大きなケガをしている。(そう考えると、イチロー選手は偉大!)松坂もケガに悩まされ、近年はまともな投球が出来ていない。

 

先日、一軍マウンドに立ち、散々な結果で、すごい叩かれうようだった。
なんだか、私が辛くなってきた。きっと給料が3千万とかなら叩かれなかったのに。彼は、自分の野球人生にどうケジメをつけようとしているのか、思い悩んでいるところなんだと思う。辞めるのは簡単なんだよ。でも辞めたら、もう戻れないんだよ。だから、できる限りモガいている。周りから見たら見苦しいだろうけど。

 

三浦の大ちゃんのように、ファンに見守られて、惜しまれて引退してほしい。
松坂大輔はそれだけの選手だ。諦めず頑張ってほしい。頑張れ!

 

 

 

 

 

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